隊結成の経緯
ガンジスの源流はどこか?ヒマラヤに興味を持った人なら誰もが一度は地図を開いて鉛筆を走らせた経験があると思います。
ガンジスの流れはベンガル湾の直ぐ北で直ぐ東進しブラマプトラ川となってやがてヒマラヤ山脈を北側に横断しチベットに入る。
今度はヤルツァンポ川と名前を変え西に向かい、ヒマラヤ山脈の北側を1,500kmほど西に向かう。スウェーデンの探検家ヘディンはクビ・ツァンポがヤルツァンポ川の源流と結論つけた。
その源流に聳え立つ山、クビ・カンリ(注1)6,721mは1983年にネパール側から登攀が試みられて以来人を近づけなかった。
また、このクビ・ツァンポ源流域は1900年に日本の僧、河口慧海がネパールとチベットの国境であるヒマラヤを越えカイラス山へ向う時困難を極めながら通った場所でもある。
本登山隊の共催メンバーである同志社大学山岳会にとっては、アピ、サイパル、ナムナニ、カキュ・カンリと続く西ネパール・西チベット地域での親しみ深い地域である。
日本山岳会関西支部にとっても、西チベット学術登山隊2004のギャンゾンカン、パチュンハムもこの近くである。登攀終了後、大西・和田・千田は学術調査でクビ・ツァンポの源流を訪れている。
ガンジスの源流のそのまた源流の一番高い山に登ってみたい………。ヒマラヤを目指す登山者であれば誰しも同じ考えに駆られるのではないでしょうか。2004年以来、私はその夢を育んでいました。
一方、出身大学の山岳部はここ10年ほど休部に近い状態が続いていました。OB会では若手会員や現役の居ない、寂しい会合ばかりでした。何とかして部員を育て、次の世代を担う若手登山家を育成したい。
監督をはじめOB会の幹部はいつもこの思いが頭から離れませんでした。京都に住んでいない私は、監督に現役部員が育ちかけたらヒマラヤへ行く夢を育て、現役を連れて行きますと約束していました。
そのチャンスが昨年から芽生えてきて、今年実現する事になったのです。しかもやる気のある現役を育てるなら協力しますという千田登攀隊長の参加を得て、当初同志社大学山岳部のみでこの登山を実施するつもりでしたが当初現役の参加希望は2名しか居なかった事や、2004年の日本山岳会関西支部の登山隊で調査していたこともあり、関西の学生に広く呼びることになりました。
関西の学生がこの登山を契機に横の連絡が密になり日本山岳会関西支部学生部が生まれる事を期待しています。
学生主体である隊でもあり、それぞれが課題(学術テーマ)を持ち、単に山に登るだけでなく、探究心旺盛な、パイオニアスピリットに満ちた山登りになるよう心がけるつもりです。
隊長 和田豊司
(注1)
山の名前
クビ・ツァンポの源流の最高峰である事から“クビ・カンリ”とした。
ネパール側から1983年にチャレンジした遠藤京子隊はチャンラと称した。
大西保は一時期チャンラ・ハイエストという呼称を用いた。
中国登山協会の編集した青蔵高原山峰図ではチュマユンドウン・カンリとなっている。